本格的な日本酒の醸造は平安時代といわれ、主に寺院を中心に醸造されていました。お酒は生もので保存できる期間は限定的でした。そんな中風味が劣化する一番の原因である残存酵母を処理する「火入れ」が室町時代の終盤に登場しました。
火入れの役割と歴史
アルコール度数が10%以上の日本酒では、腐敗する原因である普通の雑菌は生えません。しかしながら、お酒を造る「清酒酵母」やアルコールに強い「火落ち菌」と呼ばれる乳酸菌群は生きています。この火落ち菌が繁殖すると乳酸が増え、お酒がすっぱくなります。私自身も時期を過ぎた生酒を飲んだ時にすっぱくなっていた、という経験があります。
火落ち菌のほとんどは60度で死滅します。そのため「火入れ」とは、醪を搾り、出来上がったお酒を65度に加熱して、残存酵母の発酵を止め、かつ雑菌の繁殖を防止する低温殺菌法のことを示します。1570年ころには、奈良の興福寺の塔頭の「多聞院日記」に「酒を煮させて」という記載を見つけることができます。
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現在の日本酒では、多くの場合「火入れ」を二回行うのが一般的です。一度目は上槽(搾り)のあとに行い、もう一度は瓶詰めの前に行います。これによって酵母や酵素の働きを止め、品質を安定させることができます。一方、火入れを一度もしないものは「生酒」、一回のみのものは「生詰め酒」「生貯蔵酒」と呼ばれ、フレッシュで香り豊かな味わいが特徴です。
パスツリゼーション
ヨーロッパにおける「ワイン醸造」でも腐敗の問題はありました。フランスの「近代細菌学の父」と呼ばれるルイ・パスツールが高等師範学校の理学部長だったときに、アルコール製造業者から「ワインの腐敗原因を調べてほしい」との依頼を受けました。
1860年にブドウ酒を50~60度で加熱して殺菌し、かつ外部から密閉すれば、保存期間を劇的に伸ばすことができたとされます。これが有名なパスツリゼーション(低温殺菌法)です。
フランスのパスツールよりも、日本の方が300年近くも古くから「火入れ」が採用されていたという歴史を考えると「日本酒」の壮大な歴史を誇る気持ちになります!

パスツールは微生物が発酵や腐敗の原因であることを科学的に証明した人物ですが、日本の酒造りでは経験的にその原理が理解され、すでに実践されていたことになります。日本酒の歴史には、こうした職人の経験から生まれた知恵が多く残されています。
温度と時間
火入れは高めの温度(例えば70度など)で長い時間殺菌すれば、「安全に長時間保存可能」なお酒になりますが、味と風味は落ちてしまいます。
岩手県の南部美人さんでは、60-65度に熱し、急速に10度まで冷やして、火落ち菌は確実に殺菌して、お酒は熱い状態をなるべく少ない時間にする工夫をしています。また、ビンでの1回のみの火入れ、火入れの時期についてもなるべく早いタイミングということにこだわっています。
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最近では火入れ方法にも様々な工夫があり、タンクの中で加熱する方法だけでなく、瓶詰めした後に瓶ごと加熱する「瓶燗火入れ」などもあります。こうした方法によって香りや味わいをできるだけ損なわず、安定した品質を保つ努力が続けられています。
いろいろと奥が深いです。
日本酒の歴史を振り返ると、火入れという技術は単なる殺菌ではなく、日本酒を長く楽しむための知恵だったことが分かります。微生物の存在が科学的に理解されるずっと前から、日本の酒造りでは経験の積み重ねによってこの技術が磨かれてきました。そう考えると、一杯の日本酒の中には杜氏や蔵人たちの工夫と長い歴史が詰まっていることを感じます。
盃を手にするとき、こうした背景を少し思い出してみると、いつもの一杯が少し違って感じられるかもしれません。火入れという工程の裏にも、日本酒を守り続けてきた人々の知恵があり、その歴史に思いを巡らせながら味わう時間もまた、日本酒の楽しみなのだと思います。
※お酒は20歳になってから。適量を守って楽しみましょう。

