目の前のお酒の背景を理解したい人へ
世界最古のお酒は紀元前8000年頃のワインとされていますが、日本におけるお酒の始まりは、稲作が定着した弥生時代以降と考えられています。もともと酒は、果実が自然に発酵して偶然生まれたものと想像されており、その土地の主食が酒の原料になる傾向があります。日本では米の生産が広がることで、米を使った発酵文化が育ち、日本酒の原型が形づくられていきました。
古墳時代(239-593)「お酒」の記載
古墳時代になると、中国の歴史書『魏志倭人伝』に日本人が酒を飲む記述が現れます。ただしこの時代の酒が米由来かは定かではなく、当時主食であった粟などから作られていた可能性もあります。
その後、『古事記』や『日本書紀』には、応神天皇の時代に大陸から酒造技術が伝わったとされており、日本の酒造りは外来技術を取り入れながら発展していきました。この頃の酒は発酵期間が短く、アルコール度数も低く、甘みの強い保存性の低い酒だったと考えられます。
飛鳥時代(593-710)酒造技術が伝わる
飛鳥時代以降に組織だった醸造が始まったと考えられます。
古事記には「八塩折之酒(やしおりのさけ)」の記載があります。スサノオノミコトがヤマタノオロチ(大蛇)を退治したときに、オロチに飲ませたアルコール度数の高いお酒です。8回醸造しています。貴醸酒は、仕込み水の代わりに日本酒を使って造られる、アルコール度数の高い日本酒で、2回醸造したことになります。とってもコクがあって美味しいです。8回醸造した「八塩折之酒」の味は、大蛇ではありませんが、味ってみたいです。
飛鳥浄御原律令(689年)において、酒部(朝廷における酒造りを行う組織)が設置されました。天皇の宴席や神事に使用される酒を確保・管理する体制が強化されたと考えられています。
奈良時代(710-794)「にごり酒」
713年以降の「大隈国風土記」には「口噛み酒」が出てきます。加熱した米を口の中でよく噛み、唾液に含まれる酵素で糖化し、野生酵母で発酵をさせます。口噛みの作業は、初期は神社の巫女が行い、神様のために造られたが、その後一般的な庶民の間でも広がったようです。
8世紀中~後半に編纂された「万葉集」に、大伴旅人がにごり酒を歌の中に読んでいます。ザルか布で軽く濾過したにごり酒を飲んでいたようです。
大宰帥大伴卿の酒を讃むるの歌十三首
験(しるし)なき物を思はずは一坏(ひとつき)の濁れる酒を飲むべくあるらし
考えても仕方ない物思い(悲しい思い)をしないで、一杯の濁り洒を飲むのがよいらしい
奈良時代は、朝廷での醸造が始まりでしたが、徐々に、寺院、神社での生産が増えました。しかしながら、限られた身分の高い人々の飲み物でした。
平安時代(794-1185)「日本酒」の始まり
現代と大きく変わらない日本酒ができてきたのは平安時代初期の法律集「延喜式」のころとされており、この中に複数の穀物を使ったお酒の製造法が記載されています(かなり類似点が多いですが)。
精米して、麹室で麹を製造して、と記載があり、現在の製造法とほぼ同じ過程での作り方のようです。発酵の期間は10日ほどのみで薄い(アルコール度数の低い)お酒であったと思われます。
👉 日本酒の製造過程
平安初期は朝廷の役所である造酒司が中心に醸造していましたが、次第にその技術は民間に広がります。平安時代終わりころには、民間での醸造が増えてきて、庶民の飲み物として広がります。
鎌倉時代(1185頃-1336)商用として展開
鎌倉時代には、貨幣制度が発達し、お酒や米も商用として発展しました。自家製のお酒を少しいただく時代から、商用のお酒に変化してきます。大型の甕で醸造するようになります。
室町時代には京都の造り酒屋が発展します。「火入れ」の技術が発達し、ある程度の期間保存が可能となりました。
「金剛寺文書」によると寺院で酒造りが行われていました。
室町時代(1336-1568頃)本格的な酒造り
室町時代初期に記された、現存する日本最初の民間の酒造技術書である「御酒之日記」には、乳酸菌発酵の応用や木炭による濾過についての記載がされています。
奈良の興福寺の僧侶たちが記した日記である「多聞院日記」(1478~1618年)にも、「三段仕込み」の手法、火入れ、乳酸菌発酵など、この時代の酒造りについて記されています。
京都の市内には小規模な酒屋が数百件も生まれ、年中酒造りが行われました。同時期に奈良などの寺院で造る僧坊酒の技術が発展していきます。この僧坊酒の質は良いもので、各地の大寺院は大きな財産を築くことができました。
やがて戦国時代になると寺院勢力の衰退とともに酒造りの中心は町へ移り、同時に蒸留技術が伝わったことで焼酎が誕生します。この蒸留酒の登場は、日本の酒文化に大きな幅をもたらしました。特に温暖な地域では発酵管理が難しいため、蒸留によって品質を安定させやすい焼酎が適しており、南九州などの高温多湿な地域では日本酒よりも焼酎文化が根付いていきます。気候が酒の種類を選び、その土地の嗜好を形づくっていく一例と言えるでしょう。
江戸時代(1600-1868)寒造りが定着
300年の鎖国という環境で、日本酒醸造は日本民族特有の文化として発展します。池田、伊丹、灘と、当時の酒造の主導的な立場である酒蔵集団が「寒造り」を完成させます。江戸中期にはほぼ現在と同じ醸造方法が確立します。
江戸時代までの日本酒は、糖分を十分に発酵されることはせず、かなり甘口の濃いお酒であったとされています。江戸時代末期に十分発酵させるようになり、現在の辛口に相当する日本酒になりました。
👉 日本酒度と甘口・辛口の定義
醸造時期については、元々はいろいろな時期に醸造していた日本酒ですが、晩秋から春の寒い時期に醸造するお酒が一番優れていることが江戸時代末期に確立されてきます。初秋からの酒造りは雑菌汚染が生じやすく、酸敗が多かったようです。
参考書
「延喜式」
坂口謹一郎. 日本の酒、岩波書店 2007
新潟大学日本酒学センター. 日本酒学講義、2022
こうして見ていくと、日本酒の歴史は単なる技術の進歩ではなく、気候や文化、社会構造と深く結びついて発展してきたことがわかります。寒冷な地域では発酵酒が洗練され、温暖な地域では蒸留酒が発達するという流れは、日本列島の多様性そのものを映しています。
お酒を深く味わうということは、その背景にある時間の積み重ねを感じることでもあります。一杯の日本酒の中には、稲作の始まりから連綿と続く人の営みが凝縮されています。その歴史を少し知るだけで、目の前の酒の味わいが、変わってくるように思います。

